4年間情報工学を学んだ末に思うこと

何が言いたいのかイマイチまとまらない気がするけど、とりあえず吐き出したいので書きます。

最初の卒業研究から現状を比較すると、マシになってるのかなという実感はあります。発表資料の作成、発表の仕方、その他諸々。でも思ったほど劇的に変化している感じではないんですよね。実感がないだけかもしれませんがw

元々情報工学ではなくて、機械工学や電気電子工学を学んできたあと、3年次編入を機に情報工学を専攻するようになりました。

それから3年。もうすぐ4年。

やはりキャリアが少ないからか、他の人よりもちょっと見劣りする部分もあるように思っています。他の人が修士課程終了時点で6年やっているものを私はまだ4年、つまり学部卒業と同じくらいしかどっぷり浸かっていないのです。その御蔭で少し見劣りしていてもこれからやりゃあ追いつくんだよ!と言い訳が立つので、心の余裕にはなるんですけどね。

でも必要な講義は一通り取ってるんでしょ?と思うかもしれません。実際そうじゃなかったら単位が足りなくてここにいません*1。でも高専のときからですが、短期間で詰め込み教育だったために予習復習の時間が相対的に少ないんです。少しずつ学んでいってわからないところが出てきたら復習して、というのを4年間大学に居れば学年ごとに繰り返すはずなので、反復回数も増えるはずです。でも一学年で同じ基礎知識を要する科目を複数受講しなければならない場合、一回の復習で済んでしまいます。少数の科目に集中するわけじゃないので予習も自ずと疎かになります。

学費を考えると超効率的に見えるかもしれませんが、記憶を定着させるには所詮復習の回数は必要なのです。

で結局何が言いたいかというと、身を任せていても駄目なんだなということが一つ。もう一つは、まだ足りないだろうから、そのために復習する機会が必要だろうということ。

復習の機会なんて強制しないとできないので、その手段の一つとして研究は良いと思います。別に資格でも良いと思いますが、所詮資格も取ったら最後、結構忘れてしまうんですよね。

発表に関しても、改善しようと思わないと永遠にそのままなんだろうなと思うため、虚無の時間を過ごさないためにも自分が意識的にどうにかしようと思える環境にいないと駄目なんだろうなと思います。

そして欲を言えば、高専で学んだ知識を活かせる機会が無いかな?と常に伺っていたりします。でも、その場しのぎのテスト対策やたった一時の復習ではほとんどうろ覚えなので、なかなかパッと出すのは難しいんですよね。特に電気電子工学については、駆使できれば他との差を付けられるところですが、思いの外その機会もなかなか無いです。結局そういう機会に当たってしまったときに適宜復習するしか無いんでしょうね。まあいいや。

これからどんな地獄を見るかわかったもんじゃないですが、ダメそうならいつでもやめるつもりだし、最悪1年くらいならオーバーしても良いと思っているので、気楽にやっていきたいです。

*1:今思うと必修科目をほぼ全て取らざるを得ない状況だったのに、学科の時間割が全学年を通して全て被らないように設定されていたのは奇跡だったかも。大感謝。

SNSでやってはいけない10の理と判断フロー

TwitterFacebookのようなSNSで炎上したい人はごく例外を除いていないと思います。最近私自身のアカウント整理をしていたのですが、そのときの判断を元にSNSでやってはいけないことについて考えてみました。

目次

一番やってはいけないことは?

人を批判しないことに尽きます。

しかし、人に意見を言うことは悪いことではありません。悪人に厳しい態度を取ることは社会を維持する上で間違っていません。しかし、批判は周りの人までも不快にします。一言に批判は良くないと言っても、様々なことが言えるのです。以下ではもっと踏み込んだ「やってはいけないこと」を取り上げたいと思います。これは判断基準とすることもできます。更に掘り下げるべきところにはより詳細な判断フローを記述します。

SNSでやってはいけない10のこと

1. 反射的に不快感を示す

そもそもそれを不快に思う感覚がまともかよく考えてみてください。

飛行機に搭乗する際に行列ができるのは機体が穴だらけだったら大変なので当然です。
盲導犬が店にいるのは法律で義務付けられているので当たり前です。
人が変な服を着ていても自由があるので当たり前です。

そもそも不満を述べるだけなら批判ではないと思っている人も中にはいると思いますが、不快感を示す行為も十分に批判のうちです。思うのは勝手ですが不快感が批判にならないのは人前に出す直前までです。もちろん、言葉にしなくてもあからさまな嫌な顔だったり、絵にしても批判は批判です。スタンプだって批判になります。

以下に、表に出していい批判かどうかを考えるのに良い判断フローを示します*1

1. そもそも犯罪であるか?

2. 批判対象に悪意はあるか?

3. その批判に科学的根拠はあるか?

悪意があるかなんてわからないですか?具体的に言うと「その人が誰かを不幸にすることを目的としているか」です。科学的根拠というのは自然科学以外にも、例えば経済学的に良くないなども含みます。一つも当てはまらなければおそらくあなたの批判は真っ当ではありません。人に触れる場に出す前に一度このフローで考えてみてください。

2. 煽る

煽ったらそういう人間なんだなと思われることを覚悟してください。あなたの知らないところで「畜生」というあだ名が付いているかも知れません。
煽りは自分で未然に防ぐことができます。なぜなら煽るという行為は意識的に行わなければできないからです。

真っ当な批判をする真っ当な人間は煽ったりしません。

戦略的にやってる人もいますが、不必要な煽りは批判の質を下げ、発言者の評価と信頼を下げます。煽りは未成熟な人間が好んでする行為なので、批判の内容を聞く価値の無いものとされてしまいます。子供が駄々こねてるだけだと。そして一緒にされたくないので冷静な人は絶対にあなたに同調しません
信頼を取り戻すことも一度付いた悪評を取り消すこともそう簡単ではないですよ。相手は見なければ良い話ですが、煽るほうが気持ちいいのもほんの一瞬だけです。そうです、そもそも煽り自体がやってはいけない行為なのです。これは煽った人間に対しての方が不利益な行為なのです。どうしてこんな簡単なことに気づかなかったのでしょうか?
今の一言で少しイライラしたならやめましょう。人に意見を言うのに煽りは不要です。

3. 名指しで物申す

これは言い方や手順の問題もあります。

まずあなたが批判したいのが個人なら批判という体制で臨むのを今すぐにやめたほうが良いです。
SNSの目的はなんでしたか?誰かと敵対することはあなたがSNSを始めるきっかけでしたか?

あなたは必ず誰かにアドバイスを貰ったことがあるはずです。

言い方を考えてみてください。言い方一つであなたが警察や運営に通報される可能性を0にすることだってできます。
ですが、形だけ変えても意味のないことを理解してください。例えあなたが物腰低く望んだつもりでも、中身が同じならそんなものはなんの意味も成しません。自分勝手な意見を敬語で丁寧に述べたところで相手は納得しません。寧ろそれは相手を騙す行為であり、第三者からは悪意があると判断されます。やっていることが詐欺師と同じです。本当に詐欺罪が成立するかも知れません。

相手を納得させるような言い方をしましょう。アドバイスとはそういうものです。どう考えても相手が納得する態度ではなく、アドバイスが無駄に終わったら、周りに訴えていきましょう。強く批判するのではなく、強く訴えかけるのです。ここまで来ても相手に向かって叩いたりしてはいけません。相手が納得しない時点で意味がありません。あなたが批判されるようなことをしていなければあなたの意見は受け入れられます。相手が反論の数に負けて結果として世直しができるかも知れません。

4. 怒りをぶつける

怒りをぶつければ正当性が上がり、多くの人に認められると思っている人がいますが、そんなことはありません。声が大きいことには周りを巻き込む効果はありますが、多くの人は冷ややかな目であなたを見ています。中には巻き込まれてうんざりしている人もいるでしょう。さらに、怒りをぶつけるという行為はそれ自体が多くの凶悪な犯罪に親しい行為であるため、質の悪い悪意を持った同調者に囲まれることになります。一番最初のフローの批判の正当要件が満たされました。あなたは批判される立場です。まともな人たちは誰もあなたを助けてはくれません。あとには引けなくなります。

当然関係ないところで親しかった友人は最悪バッサリとブロックしてくるでしょう。周りの同調者には捨てるものが無いかも知れませんが。

5. 目的を考えないで意見を述べる

真っ当でない人の批判なんて誰も聞きません。あなたが悪者になっていないかよく考えてみてください。

そもそもあなたが意見する目的は何でしょうか?不満を吐き出すことですか?
もしそうなら最初のフローに立ち返ってみてよく考え直してください。

多くの場合、特に個人に恨みがあるわけではなく、行為や状況に対して正したいという目的で意見を述べると思います。であるならば、あなたのしようとしている発言でそれが実現できるかよく考えてみてください。

  1. 攻撃的な捉え方ができませんか?
  2. 一方的な主張になっていませんか?

その意見を述べることに本当に意味があるか判断するために、3番目の項目を思い出してください。他者を変えていくには相手を納得させていかなければ、あなたの「正す」という目的は達成できませんよ。 急がば回れというように、相手を納得させるように働きかけることこそ実はあなたの意見を通す近道です。

6. 提案しない

そもそも本来不満があったら批判するのではなく交渉するのが正しい対処法だということを覚えておいてください。

批判ばかりしていて一切その先のことを述べないのはもはや恫喝で、敵を作り続けるばかりかあなたを刑事罰などの社会的制裁へ導きます。どうなったら良いのか具体的に言えない段階なら批判すべきではありません。
最初のフローを思い出してください。不快感だけが批判の根拠になっていませんか?

そもそも敵対的な批判はすべきではなく、意見は提案を含めて行うべきであるということを覚えておいてください。それはあなたの意見の正当性を高めるばかりか、結果として多くの納得を得て、敵を作ること無く意見を通せる可能性を高めます。

7. 自分もやっている行為を批判する

批判をする際は必ず一貫性を持たなくてはいけません。

ここまではやってはいけない批判の仕方について述べて来ましたが、ここから先はヘイトを集めてしまう行為について述べていきます。

自分が過去にやっていた行為でもそれが良くないと思うなら意見するのは悪いことではありません。
ただし、あなたが普段やっている行為を批判してはいけません。あなたが普段堂々とやっていることならそれは自分は許されると思っている行為です。あなたが許されて他人が許されないことがあるなら、他人もあなたにだけは許される行為を作ってしまいます。

なぜ炎上した人が誰からも助けてもらえないと思いますか?

この反対解釈は論理的に正しく、またあなた以外には一切迷惑が被らないからです。だからあなたを堂々と叩く人が出てきますし、その行為を多くの人はスルーします。

こうなってから先どうなるかは運次第ですが、ヘイトを集めるほど尾を引くことだけは確かです。つまり、あなたが許されると思っている行為を許せないと主張したくなったなら、その瞬間あなた自身もそれを機に二度としないと宣言をし、それを必ず実行しつづけなければなりません。あなたにそれをできる自信はありますか?もしあなたが宣言を破り、そもそも宣言無しに批判しようものなら二度とそれまでの生活を取り戻せなくなることを覚悟しなくてはいけません。

そうではなくて、今は許されないと思っている行為を過去にしていたとしましょう。この時批判するのであれば必ず過去の自分について反省を述べ、必要ならば必ず謝るようにしてください。本人が反省している場合に限り、経験者の意見はときに説得力を持ちます。

8. 知識のないことに口出しする

最初のフローに戻ってください。

科学的根拠があるかどうか判断できませんか?できないなら批判してはいけません。

あなたが中性子をどれくらい危険か理解できないなら、それに関わるものには批判してはいけないし、あなたがある法の制定経緯について知らないのであれば、その法についての議論には参加できません。

まず、知識のない人の意見は無視されることが当たり前です。そして、あなたが根拠の無いを批判する人なら、他人もあなたには根拠のない批判を堂々してきます。科学的観点を捨てることは恐ろしいことだと覚えておいてください。前項と同じようにあなたが治外法権を適用するなら他人もあなたに治外法権を適用してきます。全ての人が正論を返すわけではないことを覚えておいてください。中にはトンデモ理論であなたを非難してくる人が出てくるでしょう。でも多くの人は同じレベルの批判をスルーします。

9. 自分がされて嫌なことをする

基本的に相手がしないことは自分もしないことで安全が保証されます。普段は意識しないかも知れませんが、それを前提に人々は生きています。

このルールが破られた時、あなたは7番目の項目と同じ目に合います。

別に批判に限りません。あなたがある人を弄くり回して喜んでいるとしましょう。それはSNS上に限らず迷惑行為を記録した動画なども含まれます。しかし、SNSはユーザーであれば誰でも見れるため第三者がそれを正義感、または面白がって特定しようとするかも知れません。そこで特定されるのはあなたです治外法権を適用できるあなたの方が第三者から見たら都合よくおもちゃにできます。

もう一つ例を挙げましょう。逮捕された人の容姿などを叩いていましたが、誤認逮捕だということが判明しました。逮捕されたのがあなたで叩かれて当然だと思いますか?こんなときも当然叩いていた側が特定されたりします。

日本のネット史上、最も炎上した事例はこのパターンであることを覚えておいてください*2

10. 人を褒めない、認めない

ある程度強い口調で物申してもヘイトを溜めにくくする方法があります。
それは常日頃から人を褒め、また能力や才能などを認める発言をすることです。

なにも批判対象に限りません。常に人を褒める発言をしておくとあの人は良い人なので叩くな、と周りが炎上を阻止してくれる場合があるのです。また、批判する際も「彼は〇〇に優れている。しかし…」など取り敢えず相手の能力を認める発言をしておくと、攻撃性がグッと緩やかになり、さらにあなたの意見が受け入れられる可能性を格段に上げます。

別に人に対してで無くても良いので、凄いと思ったことや応援したいと思ったことは発言するようにしてください。あなたの意見の信頼性を高めることができます

そもそもとして

SNSとは本来人と人を繋げるためのツールです。他人に反論することには向いていません。
例え独り言でも人の目に触れる以上叩かれる可能性があり、一方で注目されても殆どのケースで世の中を何ら動かせないのがSNSです。

また、他人をダイレクトに叩きのめすことができるのは恐ろしいものです。
主義主張があるならブログのような場で長文投稿してちゃんとした文章で意見を述べるべきでしょう。でなければSNSの短文投稿では勘違いされる可能性もあります。自戒として文章に書き起こしましたが、私自身も気をつけたいと思います。

また、SNSでなくても言い方にはくれぐれも気をつけましょう。これが最も炎上から遠ざかる近道です。

*1:フロー化自体はアへ顔リョナラーの@N_salad_grさんに触発されました。今まで言語化するのは難しいと思って自分の中にあるものを一度も文章に起こしたことはありませんでしたが大事ですね。

*2:https://dic.nicovideo.jp/a/%E4%BF%BA%E3%81%AF%E5%AB%8C%E3%81%AA%E6%80%9D%E3%81%84%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%8B%E3%82%89

カンファレンスの懇親会で話が続かない。助けてドラえもん!

ヤフー知恵袋で聞くか2chでスレ立てすればそれなりにコンテンツになりそうだけど、私は大体自己完結してしまうタイプなのでしません(もの凄くどうでもいいこと以外は)。

海外から人が集まる、某有名企業が主催のカンファレンスが最近ちょっと話題になった某所で開催されてそれに参加したんですが、まあ毎度のごとく話が続かないんだな、これが。

でも話が続く人もいるわけで、いってぇ何がちげーんだってばよっと飯を食いながら観察しつつずっと思索していました。

気づいた事を記録します。ところでこういう時って直すべきところと改善案、どっちを見出しに持って来た方がいいんでしょうかね?私は改善案を持ってきがちな?気がしますが今回は後者のほうが説得力がありそうな気がするのでダメ出しが見出しです。

押しが弱い

なんか弱腰です。全てにおいて自信がない弱腰外交です。
話す時は自分の言いたいことをちゃんとはっきり言おう。しっかり伝えよう。間違っててもいいからとにかく如何にもそうであるという、自分の中の認識をそのままアウトプットしよう。
あと、言いたいことがあるなら変に間を開けずに楽しく話そう。

声が小さい

みんな声が小さいって言ってくれないけど、やっぱり声が小さい。たまに2回聞かれたりする。
やっぱり自信が無いように思えてしまう。はっきり言おう。腹から声を出そう。 なんか話す価値が無いと思われてしまわないように、こう、存在感を示そう。
Do It!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

英語を聞き取れない、話さない

なるべく頑張ってみたけどまだまだ足りない。特に聞き取りができなすぎる。
話はできないなりになるべく話そうとしてる方だと思うけど、相手がなんて言ってるかわからないから会話が成立しない。すべての英語力が不足しているけど入力ができなかったらどうしようもないのさ。

ドラえもんは居ない。自分でなんとかしよう。

この世の中には議論のできない人間が一定数いるので科学的に議論の場から隔絶する必要がある

今年の下半期一本目の記事でこんなことを言ってしまうのもどうかしていると思うのですが、思いついたらその時に残さないと後々後悔するので、他のことを後回しにしてでも取り敢えず書きます。今日は午前中に起きれたのでちょっと時間に余裕があるのが幸いです。

議論のできない人というのは、本質を理解できない人です。

例えば、国会での議論の方向性は「日本を、結果として社会全体をより良くしていくため」でなければならないはずなのに必ずしもそうなっていないでしょう。公選で選ばれてるだけ国会はまだマシで、企業の管理職のほうが正直ひどいと思いますけどね。はっきり言って自分のことしか考えていないようなF*ckin'上司が多いんでしょう。

しかし、議論のための思考が不自由なのは、社会にとって障害です。そして、残念なことに何をどう頑張っても自分と違う意見の者を叩くことしかできない人間も存在するのです。でもそんな人を議論に混ぜていたらよい社会になっていくわけがありません。だってそういう人たちは社会を良くするためにどうしたら良いかなんて一ミリも考えて無くて、自分たちの都合の良いように議論を捻じ曲げることしか考えていないのですから。

でもこの思考が不自由というのは、病に匹敵します。患者を議論の場からは遠ざけるようにしなければ社会は破滅すると思われます。良貨は悪貨を駆逐するし、現にしているので、殺られる前に手を打つべきだと思います。そして、この患者さんたちは感情論に議論を持って行きがちです。

そこで、これを科学的に判別して、ちゃんと脳科学的に変異が見られれば学術的に病症に名前を付けて、社会をより良くしていくための議論をきちんとできるようにする必要があると思います。感情論には科学で対抗するのです。たとえ、豊洲市場のときのように歯止めが効かなくても、学術的に証明されていれば海外でも議論が起こるでしょう。

でもそんなことしたらかわいそうだとか、(ひどいから、自分たちが隔絶されてしまうので)おかしいとか文句をつけてくる人もおそらく居ます。でも、文句を付けてくるほうがおかしくて我々が正しいときもあるので、自分たちが正しいと思うときは、きちんと自分たちが正しいと常に主張できる必要があります。意見が押し切られてしまわないように。

本質を理解できない人を議論に混ぜないからといって、社会から切り離されるわけではありません。じゃあ認知症患者に議論に参加してもらいましょうよ。でも、彼らは自分たちの言ったこと、取った行動をすぐ忘れてしまいます。それどころか意見が一貫せず、その時々で全く反対のことを言うことだってあるんです。感情論者の大好きな責任を彼らは覚えていないがゆえに一切取れないし取ろうともしないわけですが、それでも彼らを議論に参加させることで議論の結論を良い方向へ持っていけると思いますか?

少なくとも、上記の特に「責任を取れない」という部分で感情論者の大半も納得してしまうので、認知症患者を議論の場に入れようとする人はほぼ皆無だと思います。そして、議論のできない人の代わりに本質を理解して、どのようにしていけば良い方向へ持っていくことができるかを本気で考えられる人間が議論に参加すべきなのです。そうすれば話の道筋が通って社会など議題となっているものをより良くしていくにはどうすべきかという議論に集中できると思います。

尤も、これを実現しようとした現状の究極の形が議員選挙だと思います。でも、議論ができない人を国会に放り込めてしまっているので、現状のままではダメだということです。ちゃんと科学的に議論ができる人、できない人を判別可能にする必要があります。

認知症の人も議論できる?
例として認知症を取り上げましたが、できないことをできると言って無理やりやらせるのはとても残酷なことです。そうやって無理にやらせてもできないものはできないし、その結果起きるのは何だと思いますか?

虐待なんですよ。

ただし、これは先天的な症状だけではなくて、教育の問題もあると思います。特に日本の国会、経営者を見ててもなんでこんなに馬鹿なんだと思うくらいどうしようもなく、本質を理解できていない(社会や会社を良くしていくためにはという議論の大元が頭から抜け落ちてる)人があからさまに多いです。でも平成の初めくらいまでは、明治維新の富国強兵から高度経済成長と一貫して世界をリードしていたと思うし、カリスマ的経営者も今より居たと思います。私はこうなってしまったのは戦後の教育改革が主犯だと思っていますが、ゆとり教育で自分で社会のために役立つためにどうしていったら良いか考える力が若干養われて、少しはマシになったんじゃないかなと思います。

だから現に、SNSが発達したからというだけではなく、まともな発言をしているツイッタラーが結構いるんじゃないかなと思うのです。

これは言い過ぎかもしれませんが、特に戦後生まれの団塊世代以降から就職氷河期前の世代までは高度経済成長に寄与することもなく学生運動で政治を乱し、先人の力で得たバブルを散々楽しんで、平成では無能を見事に晒した人が多い世代なのでこれからどんどん老害は増えていきますが、それに立ち向かって若者に都合の良い社会、未来を良くしていく社会に是正していかなければいけません。

科学に基づいた改革は、とても公平だし社会をより良くしていくために先進的だと思います。

日本の社会はかなり発達しているものの、それゆえ相当の弊害を持ち合わせてしまっていると思います。だからその先に行かないといけません。全然完全体ではないので、次のステップへ、より良い社会を目指して。

なぜ博士を取りたいのか?

技術的な話じゃないので迷ったけどこっちに書きます。

私はアカデミックに直接残るつもりは無かったりします。

でもならなんで就職するのに博士を取りたいのかと聞かれる事が多いです。

それで、多分自分の頭の中にある将来の見通しとかを話してもふわっとしてると思うし理解されないと思うので困ってしまうんですが、この際、明文化しておこうと思います。

私は博士を世界共通の教員免許だと思っています。なので、博士取得のメリットはいつでもアカデミックに帰ってこれることだと思います*1。そして、そのときには自分の裁量で研究できると思います。

私自身、アカデミック自体は嫌いじゃないです。

それなのになんでアカデミックに残らないのって思うかもしれませんが、研究員は給料も低いけど何より自分に裁量が無いことが多いのでなりたいと思わないんです。そうじゃなくても給料が低い(無限ループ)
博士を出たばかりのポスドクの場合、分野や雇われ先にもよると思いますが、基本的に誰かの下で研究することになると思います。でも、下積みみたいなのってあんまり性に合わないです。

あと、現時点(修士課程修了時点)で職に就いても働くことにあまり意欲的になれないと思っています。 それは8時間労働も厳しいし、自分のやりたい仕事に自分の裁量を持って就くことができないと就業が辛くなることを経験済みだからです。自分のやってて楽しい仕事なら8時間労働でも苦にならないと思うんですが、8時間も労働していると結局仕事だけになってしまうので、それもちょっとあんまり良くないかなと思っています。

その点アカデミックでは、教えることについても研究することについても自分の裁量でやりたい分野ができるから理にかなってると思うんですけどね。でも指導要領がない大学とかじゃないと多分自由に教えられないから合わないと思いますけど。

そのうえ、自分にはまだ実力が足りないと思っていて、今のままじゃ仕事で最大限自分の力を発揮できないような気がしていました。

元々、研究職で自分のやりたいことをやるのが人生計画のうちにあるので、進学しなかったら惜しい気持ちが出てくると思います。修士でも研究職に就くこと自体はできますが、自由にできるか(裁量を与えられるか)はまた別だと思っています。企業に入って企業側から博士を取ることを支援してもらえる場合があるのもわかってはいますが、どの程度できたら支援してもらえるのかわからないですし、他人の評価が無いと行かせてもらえないのはなんか不服です。

以上は、現時点の話です。

なんなら本当は1年間進路を考える時間が欲しいです*2。自分の本当にやりたいことが何なのか分からなくなっているので考えたいし、普通に正社員として働きながら考える余裕は多分無いからです。そう、実は今最も悩んでいるのは、(CSという枠の中で)どの分野で博士を取るかだったりします。上記の経緯なので博士自体は取りたいんですが、自分に合った、やっててワクワクする内容でなければ博論を書き始めるまでの最低でも2年半が続かないかもしれないからです。その点、現在の分野でちゃんとやっていけるのか実は不安*3だったりするので、他の大学院も視野に入れてどの分野が自分にとって面白いか、博士を取れるネタを研究できるか検討しています。

とは言え、1年間確保するのは、親に文句言われるのはともかくとして、その間の生活費をどうするのかとかありますから、難しいです。逆に言うと、生活費が確保できるなら修士取得後に本当に1年くらいブランクを取るつもりでいます。8時間労働でなくても、裁量労働だったり在宅勤務だったりができるお仕事があると思うので、もしそういう職場の方が居たら是非お声掛けください。

どっかに書いておかないとなんで博士課程に行こうと思っていたのか忘れてしまうかもしれないので書いておきました。

なんで?が主眼なので理想しか書いてない気もしますが、そういう記事ってことで。

Bye

*1:受け入れ先があるかって話はあれど。それに一昔前と違って修士で国内の大学の教員になるのは厳しい

*2:一番手っ取り早いのは休学

*3:院進する前のイメージと違って、あんまり新しい道を切り開いていく分野ではなくなっていて、最適化プログラミング手法だったり、単純に既存のデバイスを増やすだけだったりして、技術革新的な内容があまり無いと感じる。私はクリエイティングするだけじゃなくて、イノベーションを起こしたい。

周りと一緒じゃないと嫌だって大人どうなの問題

(今回あんまり読みやすいまとまった記事じゃないです。)

安定を求める人がいる。例えば職とかで。

いや、まあ現状をちゃんと見れれば今の日本で安定を求めるなんて現実的じゃないってわかると思うんだけどそれは置いといて。

そんな現状の良くない風潮に抗おうとする人もいるし、それなりに考えて泥舟に乗らないようにしている人もいる。

そして、安定志向の人に限ってそういう人を馬鹿にするし、そういうタイプが結構な人数存在する。

でもそういう人に限って会社が潰れたりすると文句を言う。 すべて会社のせいにして。

こういう人が世の中に存在することそれ自体が残念だけど、当事者意識が本当になさすぎる。
会社を選んだのもお前であり、よく考えなかったのも、周りにそれを問題視している人が居たのにバカにしてきたのもお前。お前も会社の一員であり、会社が悪いということはお前も悪い。

会社の話にしたのはなんとなく現実味がありそうな例えで話したかったからで、あくまで例え話です。
つまり他のことに関してもこういう人が結構いるけど、結局周りと一緒じゃないと嫌だ、(自分は道を外れるのが怖いから嫌でも動かないのにそんな別の道行こうとする奴がいるなんてずるい、許せない、みたいな感じで)ハズレ者は馬鹿にするっていうのが根底にあると思うんですよ。こんな小学生みたいな大人で溢れてるんだから、大問題。

私はよく就活でみんな同じ姿で並んでいる絵面の中にいる人達のことを心の中で「量産型」って呼んでるんですけど、それは見た目の問題として百歩譲っても、あの中にも自分たちで何も考えようとしないで当事者意識が無くてなんかあれば人のせいにして文句言う人達が相当数いることでしょう。なんで?

小学生の時点で発生しているので小学校が悪い?
ここまでなら良いんだけど、だいたいの人が次に来る言葉は殆どの場合「日本の政府はゴミ」とか。ゴミはお前じゃい!

そもそも日本の学校教育そのものを変えないとこういうのってもうどうにもならないと思いますけどね。それでも行政やどっかの議員や党に直接苦情を入れるってこともできますよね?
何が言いたいかと言うと自分で動こうとしないで人を叩く姿勢がもう本当に見るに耐えない。

じゃあこの社会を変えるにはどうしたら良いでしょうか?
一番安直な答えは、そういう人たちを社会から排除することだと思います。

経団連が終身雇用はもうむりでーす☆彡
って言っていたのはこういう人たちを排除する方向に向かわせたいのもあると私は思うんですよね。

そういう意味では割と理にかなっているかもしれないです。

えっと、↑は結構な皮肉ですけど、まあこれを期に、経団連に金だせオラぷんすかぷーぷーって言うだけじゃなくて、どうしてこういう切られ方をしたのか考えるくらいの思考回路にみんな切り替わっても良いんじゃないかなって思います。

以上です。

なんだかんだ本業さえうまくいってればメンタルって保てるんじゃないか

はいどうも~

なかなか平常心を保つのが辛い私です。

今まで人間関係で(主にまわりから)辛辣なことを言われたり、何かとハブられたりということはさんざんありましたが、メンタルが長期的に病むってことはあんまりなかったです。それで、なんでなんだ、これまでと今で何が違うんだってしばらく考えながら過ごしてきたんですが、今回新たにあることが見えてきました。

それは、いままでは本業ではなんだかんだうまく行っていたってことです。

本業と言ってもまだ学生なので、当然働くことが本業だったことはないです。
これまでの本業と言えば勉強だったと思います。

いままで上記に書いたとおり、周りの人間から虐げられるようなこともありましたが、どんな時も追い込まれるようなことはなくて、大体謎の自信を持って乗り切ってました。

でもその時のことを振り返ってみると、成績が良かったり、悪くてもまあまあという感じだったので、共通してうまくいってないってことはありませんでした。だから、本業がうまくいっていたのが自信につながって*1、たとえ周りに根の腐った人物が居ようとそんなの関係なくやってこれた理由の一つなんじゃないかと思いました。

ただし、現在その本業は勉強ではなく研究にシフトしています。

過去2回別の機関で研究をしていましたが、その時は自分で「確実にできる」というある程度見通しのある範囲内のことを自分で決めてやっていて、大きな成果が出ているわけではないものの、日々少しずつ確実な進捗が出ていたので、自分はちゃんと研究できるんだっていう自信に繋がっていたんだと思います。

それでは、今はどうでしょう。
ゴールも手法も完全に降ってきたものでコントロールが難しいです。さらに、示された手法で利用する実装のドキュメントは(本来あるべきとこれまでの開発者も重々承知していますが)存在しません。院から入学した人にはタイムラグがあるため、その分研究において常に一歩遅れを取っています(領域の知識差)。おまけに、周りに自分の研究対象の言語を詳しく知っている人がいません。そこに追い打ちをかけて明確な敵意を向けてくる悪性な学生が1名います(やりづらい)。 これでどうやって研究に自信を付けられましょうか。

今までと比べて、結構本業の環境が辛いわけです。

別に今までが甘ちゃんだったとは全く思いません。
いままでもわからないことがあれば調べては勉強し、ということを繰り返してきました。しかし、今回の手法で利用する実装はまとまった詳しい情報がどこにもないのです。ググっても無駄。

これが結構でかいと思いますが、これは頑張るしか無いにしても領域の知識差まで頑張って埋めるとなると、やっぱり気持ち的には指数関数的に厳しさが上がります。自分で研究を決めるって部分は、割と今の所属に来たときに知識を身につけるための修行だと思っていて、テーマについてある程度おんぶされることを考えていたので、自分で原因を作った部分はあり、今思えば失敗って話です。

少なくとも、人間関係は良いことが一番理想的なんですけどね。でも、同じチーム内の同学年でどこかに行くにしても、私が近くにいようが気にも留めず、まるで私が最初からチームに存在しない人物であるかのように他のメンバーだけで外へ行ってしまいます(そのわりに手伝いとかになると声がかかるんですけどね。私って別に仲良くしたくないけど都合良いときだけお立てとけば利用できそう?*2)。 でも人間はコントロール出来ないと言っても過言ではないので、それ以外の部分でどうにか立て直す方法、処世術を考えなくてはなりません(今後のためにも)。

修了するためにもここでどうにかして乗り切らないといけない、実績もどうにかして積みたいので、結局の所、本業を頑張っていくしか無いんだろうと思います。幸い、完全にドキュメントが存在しないわけじゃなくて、断片的だったり、分散したりしている状態なので、頑張って漁っていくしかないってことかな。

でも、これって逆に言うと本業がうまくいかないと何をしてもうまくいかないってことなっちゃいますよね?
そうなると本業をうまくすり替えることが次の対処法なのかなって思いますが。

本業という言い方も適切かどうかわかりません。自分の中で一番重要な位置づけのものって意味で使ってますが、これにピッタリ当てはまりそうな単語が他になかなか見つかりません。

そこで、なにか自信の持てるものがあるのがまず重要だなと思います。でもそれだけじゃだめで、さらに自分にとって重要なことでなくてはいけないんだと思います。よく趣味を持つようにって言いますが、趣味も結局映画見るだけとかじゃ自信や自己肯定感には繋がらないので、現実に引き戻されたときに無理ぃってなると思います(実際私はそうなりました)。趣味があってもほかをすべて投げ出せる勇気が無ければ結局追い詰められてしまいますし。

ヒトカラで90点以上取れるように頑張るとかメンタルの維持にわりといい趣味かもしれないです。今どきネットでいくらでも拡散できるので、なろうと思えば歌姫になれます。歌姫として有名になるとか何か夢を掲げましょう。

まとめたいので、結論です。
自分の中で重要なことで、得意なもの、自信が持てる何かがあると、メンタルも案外破壊されなくて済むと思われる、まる。

*1:例えば「自分には能力があるんだからこんなところで社会の粗大ゴミみたいな奴らのために潰れてたまるか」って感じ

*2:そういうところだぞ!