コロナ禍前のツイッターで暴れてる人たちはまだ悪意の存在って感じだったけど、今のネットのヤバさというか、爆サイ化したXや2chの過激な書き込みは純粋に「頭の悪さ」って感じがする。もっと言えば、思考の浅さというか。
なんというか、あれは意見ではないよなぁ。思考してないというか、中身がないと言うか。条件反射で出てくるのは鳴き声であって、言葉になっているだけである、みたいな感じ。言葉は言葉でもバリエーションはなくて、否定するワードと直接的罵倒だけ。ある入力に対してワンパターンしか出力できないのはプログラムに似ている。
と書いてて、更に補足が思いついたけど、それこそ元来のツイッターはじめ、世の中で目立ってた悪い存在、悪意の存在はある結論があってそれに無理やりあらゆることをこじつけているパターンだったけど、昨今目立ってる過激な書き込みは極端ではあっても三段論法にすらなってなくて、スレタイで既に結論が出てることに対して鸚鵡返ししてるだけって感じ。それがまさに動物的で、プログラムに似ている。
そもそも、スレタイとかタイトル自体で結論を書いて同調意見を集めようとする狡い考えを隠そうともしないのが増えた気がする。もっともそこらへんは本来そういうのが扱われるべきニュー速系の板ではない雑談系のスレッドが伸びるようになってそういうのがまとめられて、目立つようになってきてるからなんだろうけど。
タイトルはちょっと皮肉だが、自分が得意なことを把握してる人が増えたと言っているわけではない。昨今読解力が試されているが、これの意味がわからないのに堂々とネットに過激な書き込みをしているような人はその後ろに続くように「自分の苦手なことをわかっている人は少なくなった」そのものだと思う。一応言い換えると、要するに「自分が傍若無人に振る舞っても気持ちよくなれる何かを動物のように学習してしまった人が増えている」という話。だが、それは自分の本来の能力が可視化されているわけではなく、自分が本当に得意なことであるわけではない(本当に得意ならそれはそれでご愁傷様である)。なんなら、自分が得意でないことを得意であると勘違いしてしまっているということも含んでいる。
Xで過激な書き込みが目立つようになり、自分と同意見を持つ者が可視化されるようになってきた。それまで匿名掲示板では自演やなりすましの可能性もあったわけだが、Twitterは個々のアカウントが(かつて痛いとされていたはずの)コテハンでアイデンティティを持った存在であるため、自分が一人ではないという実感を持てるようになり、リツイートやいいねでそれが数字として可視化されるようになって、遠慮が無くなってきた節が限りなくあると思う。もちろん、それは逆説的に一人では意見を言えないということの現れでもあって、所詮同調することでしか自分の正しさを判断、証明できないという滑稽さの自己紹介でもある。
そういうのによって、自分の得手不得手をわかっていない人の発言が相対的に目立つようになってきたように思う。本来、そういう人たちは「おかしな人」というより「まずい人」であるため、実社会においてもネットでも同調など集められずに忌避されて終わっていた。でも、色々あって上記の土壌ができてしまった。理由の一つは確実に大衆化であるが、Xが過激発言の増幅回路になってしまった。あと、「自分の得意なこと」は理解できてても、「自分の苦手なこと」は全く自覚できていないという人も目立っているように思う。某消しゴムマジックの人に限らず。因果応報という言葉は知っていても、自戒、反面教師とかは知らないのかも知れない。
最初の方で「頭の悪さ」と言ったが、具体的に言えばその最たるものは「自分の苦手なことが認知できない」ということである。
読解力が低い人がたくさんいるというのが良く書かれるが、あれも起承転結、背景、想像力、いろんなものを理解する力が無いことが挙げられると思う。ある意味幼稚とかキッズとか、そういう話かもしれないが、こういう本来人間にあるべきものが欠けていながら人間の言葉を使って社会であたかも自分たちは意見を言っているんだというムーブをしているのは、葬送のフリーレンの魔族を彷彿とさせる。
まともな社会に戻すためには自分の苦手なことを認知できることが何らかの社会的評価軸になるようにしないといけないし、魔族みたいなのが紛れ込まないようにネットでの発言も免許制にした方が割りと本気で良いかも知れない。