社畜体質な企業にありがちな発言
会社のために動くか実現したいことで動くかの違い
ベンチャーだったり成長している伸び代のある会社は後者であることが多くて、前者だとブラックになったり働いてるのが人であることを忘れがちであると思います。
「会社の為に」とか、「社を挙げて」とか、会社が主語になっていることが多い場合はなんというか全体主義になって、個人が尊重されない傾向があると思います。
我々は別に会社の為に働きたいわけじゃなくて、会社なんて自分たちの目指してる商品を実現する手段でしかないのではないでしょうか?
「会社の為に」とか言われても目的が曖昧になってしまい、結果としてなんのためにやっているんだかわからなくなってしまうと思います。
本来会社の出発点は、「何かを実現するため」に人を集めて会社を起こしたのではないでしょうか?それは決して「社のため」ではなかったのではないでしょうか?
沿革を眺めれば何かしら最初は目標があったはずなのに、大企業ほどこういう傾向がある気がします。
私が今夏初めて行ったインターンの企業もこういう「社として頑張っていきたい」みたいな感じでした。しかも自分たちの企業は合併したから機器が沢山あると自慢していましたが、プロダクトのインパクトや経営状況を考えるとあるだけで使いこなせていないのではないかと思いました(大変失礼ですが)。
こうなってしまう原因
私はこの傾向は、会社の名前だけで入って来た社員が増えていき上司になっていくに連れて、本来の会社のビジョンを理解せずに、ネームバリューの優越感にひたすら浸り、縋る様になってしまった結果だと思います。
逆にベンチャー企業にそういったところが少ないと感じるのは、起業からまだ日が浅いのでこういう部分が意識されている企業が多いのかなと思います。また、マスコミはベンチャー、ベンチャーといいますが創業20年位たってる企業もある中で、この「作りたいもののために頑張る」という意識がある企業はかなり凄いと思いますし、自分たちのネームバリューに溺れず、今後も成長していくと思います。
原因の一つは年功序列だと思う
年功序列は批判している人が多い一方で、成果報酬型を批判している人も居ますが、少なくとも大した仕事のできない無能な上司が重要なポジションについてイキれてしまうような点は最悪だと思います。単に勤続年数では無くて、階級を上げるのに試験が必要なところもあるようで、こういうところでは向上心のある人しか上に上がれないので、こういう現象は起きにくいんじゃないかと思います。日本では会社に勤めてる人が勉強する時間は極端に少ないというツイートがバズってましたが、これは一つの解決策だと思います。